【読書】地図のない場所で眠りたい 高野秀行. 角幡唯介(著)

【読書】地図のない場所で眠りたい 高野秀行. 角幡唯介(著)

私が尊敬しているノンフィクション作家二人の対談本である。
二人とも早稲田大学探検部OBという共通点があるが、実際にはここ最近2,3年の付き合いだそうだ。

探検部を卒業し、今を時めく人気ノンフィクション作家となった高野秀行と角幡唯介。未知の世界への憧れを原動力とする点は共通するが、テーマの選び方やアプローチの仕方は大きく異なる。高野は混沌とした人の渦へ頭からダイブし、角幡は人跡未踏の地をストイックに攻める。夢追い人二人の、仕事の流儀!
出典 amazon

高野・角幡両氏の本は何冊も所持していて、いつも惹きつけられてしまう。
単純に読んでいて面白いのであるが、なぜ同じ作家の本を集めてしまうほど熱狂してしまうのか?

①自分ができない事をしている。
これは単純にそうであり、登山が好きなものは海外の山や秘境的な場所へ行きたいと思った事があるはずだ。
ただ現実的に考えれば仕事・お金・社会的に不可能であり、週末に山へ行く事ぐらいしか叶わない。
むしろそれで充分どころから、時々は山に行きたくない事すらある。
対してこの二人はどうだろうか?仕事もまともにせずにひたすら辺境・極地へ足を運んでいるのだ、少なくとも普通の人間ではできないし、やろうとすら思えない。
だからこそ私の人生ではこれからも間違いなくありえないような経験値を積んでいる人への’興味’があるから読んでいるだと思うが、その’興味’の中に憧れ・妬みという気持ちは全くないので、そもそも私には探検・冒険という行動には程遠い人間だと確信できる、故に登山においてもそこまで未踏のルートを歩きたいという気持ちも強くないのである。
それが登山家として失格なのであれば、仕方ない。

②ストーリーがある
いろんな両氏の本があるが全てにおいて少なからずストーリーがある。
無論本になっているからストーリーがあるに決まっているじゃないか!という真っ当な意見は少しはぐらかしておこうではないか。
確かに登山でも’ストーリー性が大事だ’という人が時々いるのだが、それは私にとって非常に理解するのに難しい、いや本当にはそういった思考に対して憧れすら持つ事もあるが、どうしてもそうゆうストーリーと登山がしっかりマッチしない。
’ストーリー性’を求めるぐらいなら’厳しい’登山をする事が私にとって向いていると感じている。
だからこそYSHR先生のようなカリスマ人間(先生は新規ルート開拓をガンガンされている)もにすごく惹かれる部分があるのが正直な所である、ただ少しばかり’ストーリー性’という部分も気になっているからこそ、短にはいない両氏の本を読み漁っているのだ。

③人と違う事をする
高野氏が言っていた言葉で’人と違う事をする事’というのがあった気がする。
無論角幡氏も人と違う事をしている ①で書いた’自分ができない事をしている。’ではなく世の中の誰でもできる事ができない事をしているのが両氏なのである。
そう思えば世界でただ一人の開拓者である本を母国語の日本語で楽々理解できるというのは非常にラッキーと言えるだろう。
高野氏の本を海外でも発売されたりしており、こう言った本は世界でも需要があるのかもしれない。
’スマホ時代’だからこそガチで’人と違う’事を出すのは難しいと思うし、これから減っていく一方なのだろうか。
もちろんIT分野での探求は進むであろうが’地理’的な部分での新しいアイデアはなかなか物理的に厳しくなっていく。

まとめ
大人になればなるほど自分の可能性というか妄想の視野が狭まっていくのを感じている。
社会人なりたての頃はどんな事でも出来るだろう!という未来が見れていたが現在はそれすら見る事ができない。
つまり想像というクリエイティブな能力が明らかに劣化しているという事だ、確かに現実を見る事は生きていく事対して大事な事であり、夢見がちでは安定した生活を得る事はできない。
残念ながら私は所詮安定を求めた’一般的な’未来しか見れない脳の持ち主になってしまったのだ、そうなってしまっては今更奇天烈な未来を見る事もできないし、無理に想像してもしょうもない事業の改革ぐらいだろう、つまり安定の為の小さな挑戦ぐらいしかできないのである。
そうした私にとって両氏の本は、人生のif世界ともいえる仮の人生を謳歌しているのだろうか。
決して真似できない事であるが、決して憧れや、妬みがないという清潔な感情が自分自身で説明できない、そうゆう両氏が大好きである。

手先が不器用なモンタナ君です。 モンタナスポーツの広報としてお手伝いさせて頂いております。 美しい雪景色をみながら自分だけのシュープールを描きませんか?