自分の価値とは
登山が趣味の私にとって自分の価値とはなにだろうか?
人生を歩む事は仕事をして休みの時間い趣味を楽しむと言うのが一般的である。
仕事つまり労働は一部の人間をのぞいて基本的には辛くてしんどいものである、だけれでも続けなければ生きていけない。
趣味は自分の裁量で全てを決める事ができる、疲れたら休憩しても良いし、飽きたらやめれば良い。
’しなければならない’という制約がないので自由である。
だが現実はどうだろうか?
趣味が仕事よりも自分の人格の多くを占めていて、SNSでも仕事の事は少なく趣味の事で炎上しているケースが多い。
ここで考えたいのはSNSに表現する自分というのは’趣味’の自分であって’仕事’の自分ではない人が多いという事である。
誰もが自分の事を自由に発信できるこの時代に置いての自分とは’趣味の自分’という人が多いと思う。もちろん’仕事の自分’でSNSをしている人も多いとは思うがそういった人は’趣味’も混在している場合が多いのではないだろうか。
なにが言いたいかというと’趣味の自分’の姿が大きくなりすぎると’趣味’に殺されてしまうのではないかという恐怖感に襲われてしまうのではないだろうか?
これまでの日本では’仕事が一番’という文化だったので趣味が疎かになっていても全く問題なくむしろ趣味ばかりに時間を割いている人間は怠け者の烙印を押されていた。
ここ最近の労働環境についての思考の変化により状況は代わり’仕事人間’というポジティブだった姿が一気にネガティブに変わってしまった。
あくまでも私の意見であるがそれにより’趣味’というただの嗜好が一気にその人の人間性を決めるまでの要因になってしまったのではないか。
SNS時代はこれからが本番?と思えるほど日々プログラムは進化している。
今皆さんは仕事人間・趣味人間どちらだろうか?
10年後には仕事も趣味もなくなって、新たな何かが生まれているのかもしれない。